読む政治:「戦争で苦労するのは庶民」御厨貴さんが見た野中広務さんの悲しみ
記者を夢見て永田町を歩いていた時に偶然、道に落ちていた「自由民主党 行政改革推進本部長 衆議院議員 野中広務」と書かれた名刺を見つけ、今も大切にしている。
「政策論だけじゃない。人間として闘いに挑んでいる」。千葉県八千代市議の大塚裕介さん(41)も中学時代に愛読し、政治の道を志すきっかけになった一冊だという。
大塚さんの場合は憧れが募るあまり、一目見ようと学生服姿で自民党本部を訪れ、各地の講演会に足を運ぶようになった。官房長官や自民党幹事長を歴任し、政治家として全盛期だった野中さんに「おう」と肩をたたかれる間柄に。今で言う「推し活」のようなものだろうか。
20歳のころ「近くで政治を学びたい」と手紙を渡した。返事がなければこれが最後と覚悟して。しかしその夜、携帯電話が鳴った。「野中広務です。君、こんな年寄りの何がいいの。これから好きな時に来ていいぞ」
以来、東京都内の事務所を訪ねては、野中さんと語らった。現役時代の話はあまりせず、話題はその時々の政治について。「地方を知ることが大事」という言葉を胸に、26歳で市議になった。
選挙の時、応援弁士として地元に来てくれた野中さんが「君が立派な政治家になってくれたら、僕が戦争で死なないで今日ここに来られた意味がある」と言ったのが忘れられない。
そして政治家の資質について「自分に火の粉が降りかかっても、自分に不利でも、それが正義なら闘っていく勇気と気概を持つことやな」と教えてくれた。
25歳で地元・京都で町議になった野中さん。町長を経て京都府議として、革新系の蜷川虎三府政と長く対決した。衆院議員に初当選したのは83年、57歳のとき。その後、「政界の狙撃手」「影の総理」の異名をとったのは周知の通り。最後は新自由主義的な改革を掲げた小泉純一郎政権に抵抗し、2003年に77歳で政界を引退した。
「まさに彼の政治は闘うというところから始まっている。攻撃的な姿勢は大変なものだ」。政治学者の御厨貴さん(75)は07~18年に司会を務めたTBSテレビ「時事放談」で野中さんとたびたび共演するなど、付き合いは10年近くに及んだ。
野中さんが永田町で最初に闘った相手が小沢一郎・元衆院議員だ。「私は闘う」でも1章を割き、旧田中派の流れをくむ経世会の分裂、そして政界再編を画策した小沢さんと対立した舞台裏を描いている。「この本も、小沢さんの著書『日本改造計画』に対抗する狙いもあったでしょう」
自民党は98年、参院選での過半数割れに直面し、窮地に陥った。小渕恵三政権で官房長官を務めた野中さんは自由党、公明党との連立に動く。当時、自由党の党首だった小沢さんとの距離を縮め、3党連立政権の発足にこぎ着けたが、自由党はわずか半年ほどで離脱した。
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