「次会う時は違う条件で」 捕虜監視員だった父の手帳に見る戦争
太平洋戦争中、国内最大の連合国軍捕虜収容所「福岡俘虜(ふりょ)収容所第17分所」(福岡県大牟田市新港町)で監視員だった日本兵の手帳が初めて公開された。手帳には米国などの捕虜から「良い友情に感謝します」などの感謝の言葉が寄せられている。公開した日本兵の三女で福岡市のさかいようこさん(69)は「『人間同士殺し合いはしたくなかった』と思っていただろう父の思いを私も伝えたい」と話した。【本多由梨枝】
日本兵は国松大次郎さん(1915~92年、享年76)で、福岡市横町(現同市博多区下呉服町)に生まれ、22歳だった38年9月に入隊。翌39年から約1年半、前線で陣地構築などを担う建築輸卒隊として日中戦争下の中国・広東省に派遣された。そこでは敵の銃弾が頭に命中した隣の仲間が命を落としたこともあるという。
軍歴証明書によると、国松さんは29歳だった45年4月10日に大牟田の第17分所に臨時召集。同6月25日に福岡市箱崎(現同市東区箱崎)にあった福岡俘虜収容所第1分所に勤務していた。この間の同6月19日にあった福岡大空襲で自宅が焼失したものの、母広子さんは実家の箱崎に疎開して無事だったという。
この要約はメディアの公開フィードから5Newsが集約したものです。 文脈も含めた全文はmainichi.jpにあります — コンテンツの権利はMainichiに帰属します。