大谷翔平につながる近代野球の歴史 アイク生原氏が残した功績
米大リーグ・ドジャースの会長補佐として日米の野球交流に尽力した故アイク生原(いくはら)氏(1937~92年、本名・生原昭宏)を顕彰する展示コーナーが、出身地の香春町歴史資料館(福岡県)に新設された。遺族から貸与された貴重な写真や直筆メモなどを展示。「日米野球の懸け橋」として日本選手がメジャーで活躍する礎を築いたアイクさんの功績をたどる。
アイクさんは県立田川高野球部時代から強打の捕手として鳴らし、早大を経て社会人野球のリッカーで活躍した。亜細亜大野球部監督を務めたあと、指導者としてさらなる高みを目指すため渡米を決意。1965年、日米の野球に精通していた鈴木惣太郎(元巨人顧問)の紹介状を携え、米大リーグ・ドジャース会長のウォルター・オマリー氏(当時)を訪ねた。
ドジャースでは傘下マイナーチームの用具係からスタート。言葉の壁や偏見を乗り越えながら熱心に働いて信頼を築き、82年に父から会長職を引き継いだピーター・オマリー氏の下で会長補佐に昇格。国際担当として野球の五輪正式競技化のための各国関係者への働きかけ、巨人、中日の米国キャンプのサポートなどに力を注いだ。
アイクさんの顕彰活動の中心を担うのは、香春町郷土史会の村上寿利副会長(71)。23年12月、米ロサンゼルスのドジャースタジアムであった大谷翔平選手の入団会見をテレビで見たことがきっかけとなった。
ドジャースのフリードマン編成本部長はあいさつで「ドジャースは日本と長くそして深い関係がある。ウォルター・オマリーと昭宏・アイク・生原から始まり…
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